成年後見制度
日本の国は少子高齢社会となり、とりわけキリスト教会の高齢化は驚くほどのスピードで進展しています。私が以前所属していた日本キリスト教団東京教区南支区ではこのことが15年前から教職や教会員の間でささやかれていたことです。それも今や教会員の平均年齢65歳以上を超える教会が大多数を占めるようになると、様々な問題が生じるようになってきました。
皆さんも一昨年と去年のキリスト新聞の第一面に次のような記事が載せられていたことをご記憶かと思います。
「教会の高齢化が進む中、終末期を迎えた教会員の信仰生活を支えるために「成年後見制度」の理解と認識を高めようと、日基教団東京教区南支区社会部(澤田竹二郎委員長)が1月29日、同教団白金教会(東京都品川区)で、「安らかな信仰生活のために――成年後見制度とその可能性」と題する講演会を開催した。同教会会員で弁護士の中尾隆宏氏が制度の現状について講演し、高輪教会会員の高橋壽子氏が市民後見人の養成講座を受講した経緯を報告。同支区の教会員を中心に66人が出席した。」2012年2月18日冒頭紙面「高齢化に伴い、終末期を迎えた教会員の礼拝出席が困難になるなど、教会でもさまざまな問題が生じている。そこで、「成年後見制度」の理解と認識を高め、その可能性を模索しようと、日基教団東京教区南支区社会部(澤田竹二郎委員長)は1月27日、昨年に続き2回目となる講演会「安らかな信仰生活のために――成年後見制度とその可能性」を同教団田園調布教会(東京都大田区)で開催した。「教会の課題としての成年後見制度」を主題に、菅原力氏(同教団弓町本郷教会牧師)が講演。約70人が出席した。」2013年2月9日冒頭紙面
教会の礼拝で説教壇に立って会衆を見渡すと、頭に白いものが混じりはじめた方が目立つようになりました。それ自体は祝福されたことですが、私たちのライフサイクル(家族周期論)から見て、子供たちが独立し、夫婦二人の生活になり、信仰生活においても円熟期を迎えている方々が主流となっているということです。
しかしながら、教会員であっても高齢期には、加齢に伴う病気や認知症等が避けては通れません。医療機関への通院や入院という事態に直面した時、それを支えてくれる家族の存在は大変頼りになる存在ですが、頼れる身寄りがない場合はどうでしょう。
最近、新聞紙面に連載記事が載るようになった振り込め詐欺や消費者被害、そして孤独死や漂流老人などが社会問題となっています。
特に、頼りになる子どももなく、兄弟姉妹もいないような身寄りのない方の信仰生活をいかに支え、見守ることが教会の課題になっているのではないでしょうか。
このような状況の中で東京教区の取り組みとして取り上げられたのが「成年後見制度」という聞きなれない対処法だと考えられます。ところでこの成年後見人にはどんな権限と職務があるのでしょうか。
成年後見人の権限と職務
成年後見人の職務には、判断能力の衰えた成年者の法律行為を適切に援助するため、後見人について民法(以下「法」と呼ぶ)の規定による財産目録の作成・支出金額の予定、後見監督人や家庭裁判所への報告、そして財産管理の事務や身上監護が定められています。
また、成年後見人に選任されたら行うべきこととして、第一に後見人は被後見人の財産を確定するため後見人の就任後「遅滞なく被後見人の財産の調査に着手し、一箇月以内に、その調査を終わり、かつ、その目録を作成しなければならない」(法853条)との定めがあります。またその際に「後見人は、その就職の初めにおいて、被後見人の生活、教育又は療養看護及び財産の管理のために毎年支出すべき金額を予定しなければならない」(法861条)との定めがあるのです。
第二に後見人は、その職務が適切に行われているかを確認するため、後見監督人又は家庭裁判所から職務上、いつも「後見の事務の報告若しくは財産の目録の提出を求め」(法863条)られ、これに応じなければなりません。
第三に後見人には、個別・具体的職務として被後見人の財産管理と身上監護(法858条)があり、この職務を行うため、成年後見人には以下のような職務上の権限が与えられます。
後見人は法859条第1項の規定により「被後見人の財産を管理し、かつ、その財産に関する法律行為について被後見人を代表する」とし、成年後見人には、被後見人の財産管理権、法律行為の代理権及び取消権の3つの権限が与えられる。例えば、被後見人の日常生活を維持するため、後見人は被後見人の生活費を管理することになる。その中には後見制度支援信託の設定や預貯金の引き出し、年金等給付金の受領、保険料や公共料金、介護費用の支払い、日常金銭管理が含められています。【注】
身上監護には被後見人の介護の必要から、在宅での訪問介護や通所介護サービス契約、介護用具の賃貸借契約の締結等があります。ただし、サービス付き高齢者向け住宅、有料老人ホームや介護老人施設に入居する場合、被後見人の居住用の不動産を処分するときは、法859条の3の規定により家庭裁判所の許可が必要となります。
有料老人ホームや介護老人施設に入居する場合には、身元引受人を求められる例が多いが、成年後見人と身元引受人とは必ずしも一致しません。身元引受人は、入所・入院にあたり本人に代わって所持品を預かり、緊急連絡先として登録され、本人が死亡した場合に身柄を引き取り、退去手続きをして費用を支払う等の身元保証人的な地位にあるので、後見人の就任は身寄りがない等の特段の事情のある場合に限られます。
身上監護には被後見人が事故又は病気になり、療養看護のため入院する必要のある場合、本人である被後見人を代表して病院への入院契約を締結することができます。但し、この代理権には手術等の医療同意を含まず、介護や手術等の事実行為に及ばないとするのが通説です。また、被後見人が死亡後の事務については、遺言があればその遺言に従うものであり、後見人が事務を行うことができません。成年後見人には何でもできる訳ではなく、一定の限界があります。
【注】
後見制度支援信託とは、「後見制度をご本人の財産管理面でバックアップするための信託であり、後見人が、家庭裁判所の発行する「指示書」にもとづき、ご本人の現金や預貯金に関して、信託を活用して管理することができるしくみ」のことである。この制度は後見人の財産横領を防ぐために制度化された。
一般社団法人信託協会のホームページ)http://www.shintaku-kyokai.or.jp/news/news230203.html
成年後見人の選任について―聖書と身寄りのない人々―
教会と成年後見制度を考える上で新約聖書テモテへの手紙第一5章3節から16節までの記述には、ある重要な示唆が含まれています。
「身寄りのないやもめを大事にしてあげなさい。やもめに子や孫がいるならば、これらの者に、まず自分の家族を大切にし、親に恩返しをすることを学ばせるべきです。それは神に喜ばれることだからです。
身寄りがなく独り暮らしのやもめは、神に希望を置き、昼も夜も願いと祈りを続けますが、放縦な生活をしているやもめは、生きていても死んでいるのと同然です。
やもめたちが非難されたりしないように、次のことも命じなさい。
自分の親族、特に家族の世話をしない者がいれば、その者は信仰を捨てたことになり、信者でない人にも劣っています。
やもめとして登録するのは、六十歳未満の者ではなく、一人の夫の妻であった人、善い行いで評判の良い人でなければなりません。子供を育て上げたとか、旅人を親切にもてなしたとか、聖なる者たちの足を洗ったとか、苦しんでいる人々を助けたとか、あらゆる善い業に励んだ者でなければなりません。
年若いやもめは登録してはなりません。というのは、彼女たちは、情欲にかられてキリストから離れると、結婚したがるようになり、前にした約束を破ったという非難を受けることになるからです。
その上、彼女たちは家から家へと回り歩くうちに怠け癖がつき、更に、ただ怠けるだけでなく、おしゃべりで詮索好きになり、話してはならないことまで話しだします。
だから、わたしが望むのは、若いやもめは再婚し、子供を産み、家事を取りしきり、反対者に悪口の機会を一切与えないことです。既に道を踏み外し、サタンについて行ったやもめもいるからです。
信者の婦人で身内にやもめがいれば、その世話をすべきであり、教会に負担をかけてはなりません。そうすれば教会は身寄りのないやもめの世話をすることができます。」【新共同訳】
聖書に書かれていることを伏せれば、この箇所はそのまま私たちの今の有り様になんとぴったりしていることでしょうか。
勿論、パウロは高齢者(やもめ)に家族がいて「子や孫がいるならば、これらの者に、まず自分の家族を大切にし、親に恩返しをすることを学ばせるべきです。それは神に喜ばれることだから」と説いていますので、家族がある以上、その家族が優先してそのやもめを大事にすべきだとしており、教会の出番ではありません。
また、「六十歳未満の者で」まだ「年若いやもめ」は、かなり厳しいことを指摘して「登録してはならない」と説いていますので、このような場合も教会の出番ではありません。
しかし、これ以外の「身寄りのないやもめ」は、別で「教会は…世話をすることができます」とテモテに勧めているのです。
当時のテモテの牧するヘレニズム世界にある教会は、多くのやもめを抱えていました。多くの財産を持ちローマ市民権を持つ裕福な教会員も中にはいたかもしれませんが、その日暮らしの庶民も多く抱えていました。商売をして小金を貯めている者もいたでしょうが、稼ぎ手の働きがなくなると途端に飢えてしまうやもめも確かにいたのです。そのような貧しい者のために礼拝において教会に献げられていた食べ物や飲み物等が分け与えられ、裕福な者から住む所を提供されていたのです。パレスチナ以外でもエルサレム教会のような共産制的な形態があったのでしょう。
このように教会の職務として「やもめの世話」があることを教えてくださったのは、日本聖書神学校教授であった故今橋朗牧師でした。師は後に神奈川県秦野の「神の庭・サンフォーレ」の設立に向け歩まれ、神奈川教区の多くの賛同者を得て「サンフォーレを支える会」委員長を引き受けておられました。
もし「身寄りがなく独り暮らしのやもめは、神に希望を置き、昼も夜も願いと祈りを続けます」という理想的な姿であれば、教会にとっても「やもめの世話」は後ろ向きの議論ではないと思います。何よりも「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さき者の一人にしたのは、わたしにしてくれたのである」(マタイ福音書25章40節)という御言葉に適っていないでしょうか。
しかし、「今の教会にはその資格も知識も余裕もない。ましてや教会が信者の家庭や身の回りの世話などに係るよりも心の平安を優先すべきだ」と言われる教職や長老もいるかもしれませんが、それができないというのであれば、それが可能な人に頼めば済むことです。ただそれができる弁護士や司法書士、社会福祉士、行政書士等を成年後見人に選任すればよいのですが、ある程度個人財産がなければ、成年後見人に報酬を支払うことができません。残念ながら、世の士業はお金がないと動きません。
さらに高齢となり、認知症が進行すると、益々状況は厳しくなりますが、遠縁の親族を探し出して家庭裁判所に行って法定成年後見人を選任してもらうにしても、それまでの費用がかかります。
このような局面に柔軟に対応するには、特定非営利活動法人(NPO法人)を予め設立しておき、成年後見や終活の相談や知識の普及、支援組織を構築することです。その財政は教会や教会員の加入や自由な寄付によって賄われ、身寄りがなく独り暮らしで資力もあまり無い方にも対応して行くのです。NPO法人をこのような方のため成年後見人として選任することは可能です。顧問となって頂ける弁護士や司法書士、社会福祉士が細かな手続きを指導して、手足となって頂ける市民後見人(教会員がボランティアで参加されてもいい)が実際の訪問や身上監護などの世話をすることは可能だと思います。
NPO法人による成年後見とサービス付き高齢者向け住宅
成年後見制度は、2000年の介護保険法の制定施行と合わせて民法の無能力者制度を見直して新たに生まれました。しかし、十分に活用されてきたかは疑問です。それは新たな制度であり、中々一般には浸透しなかったことも原因でした。
とりわけ、成年後見制度は、家庭裁判所への申し立てをするまでの間、提出すべきも医師の診断書(勿論有料)や作成書類も多く、成年後見人が選任されても、財産目録の作成・支出金額の予定、後見監督人や家庭裁判所への報告、そして財産管理の事務や身上監護が定められており、配偶者や子、甥姪等の家族が成年後見人になる場合は、これらの手続きがかなりの負担になっていたからです。
表記のようなNPO法人に加入されている教会であれば、連絡を受けて訪問させて頂き、その方に配慮した対応を専門家の意見を踏まえて勧めて行くことも可能です。一般のNPO法人もあると反論される方もいると思われますが、教会を離れてその方の信仰生活を配慮することが十分に可能でしょうか。
遺言などデリケートな問題等も、教会が直接係るよりもNPO法人が係る方が透明性ありと思います。
また、高齢者の介護施設選びにしても、特別養護老人ホームには何百人も順番待ちしている状態ですし、認知症グループホームも地域密着型で中々入れないのが現状です。しかも、厚労省の指導で建設費に公費が多く入る社会福祉法人の介護施設で宗教はご法度です。ある施設では屋根や壁に十字架を付けようとしたところ役所から差し止められました。それでも、近所の他の施設に行くと、堂々と庭には観音像が立っていたというのが何とも皮肉でした。
それではと、民間の介護付き有料老人ホームを探しても高額な入居保証金が用意できなければ、門前払いとなります。その点、今注目されているサービス付き高齢者向け住宅であれば、元々が賃貸契約の共同住宅ですので、公的施設の宗教禁止の縛りはなく、高額な一時金が最初に用意する心配はありません。今後のことを考えると、支区に一つはこのようなNPO法人やサービス付き高齢者向け住宅があってもよいと思いますが、いかがでしょうか。
社会福祉士・行政書士
君津伝道所牧師 高野 茂